niwaradiの雑記

漫画アニメ関連の感想。

滝川みうはヤバい

今日の計算中(AbemaTVで視聴、月曜1:00~)も良かった。

 

あとこの記事を見て書かねばと思った。

anond.hatelabo.jp

 

内容的にははっきり言ってあまり魅力を伝えられていると思わないのだが、やはり好きを真っ直ぐに伝えるのは強い。文章も私の下手くそな日本語よりはずっと上手くて読みやすい。

 

ただやはりほかのアイドルやVTuberに嵌ったことがない筆者となると、どこが新規性なのかと言いたくなる向きもあると思う。私が一番最初に好きになった藤間桜(天城サリー)もほかのみんなもすごいのだが、突き詰めるとやはり特異なセンター、滝川みう(西條和)の話をせねばならない。ヤバいと書いたがプリコネRe:Diveのニュアンスでとって欲しい。

 

「一番やりたくないことをしに来ました」と西條はオーディションで言ったという。

natalie.mu

tokyo.whatsin.jp

穿った言い方をするが、正直言って反則である。オーディションに来るのはほとんどアイドルになりたくてたまらない子ばかりのはずだ。握手とかは好き嫌いあるだろうけど、華やかな舞台で歌ったり踊ったりしたいはずだ。それが「そういうのは本当はしたくありません」と言う。じゃあなんで来たの?「苦手なことをして自分を変えるため」と。

 

始めてアイドルグループを結成しようとするプロデューサーなら絶対採らない。経験や欲のある人ならイロモノ枠として採るかも。でも22/7の企画者は秋元康だ。もう普通の可愛くて歌って踊れる女の子には飽き飽きしていると思う。面白いから絶対採用する。そしてこの「ステージのどこに立ちたいの?」と聞けば「すみっこ。」と答える女の子をセンターに据える。

 

周りとしてはいい迷惑となりそうだがそれで奇跡的にバランスがとれている。ほかにセンターに向く子もいないし。みう自身が特に優しいわけではないのだが、何らかの緊張が破れて、なんだか優しい空間ができている。

 

アニメに関しては西條の演技を悪く言う向きもあるんだが西條は声優にそもそも向いていない、そもそも自分が向いていると思って応募してないのでその前提は必要。「自分の声も嫌い」らしいし。あとゼロからの成長(実はあれでもすでに1以上に成長してるが)を見せるのは日本のアイドルとしては正しい。

 

アイドルの発言を素直に信じたくない私だが、西條のある種のアイドル的なことをやりたくないというのは部分的には本当だろう。滝川=西條はネガティブ過ぎるのだ。苦手なものアンケートで答えた第一位は「自分」(計算中64回)、「死にたくないし、生きたくもない」(Season 2 32回)。

 

いつものようにアイドルマスターシンデレラガールズの話をするが、なぜか陰キャ話をする子がやたら多いシンデレラ声優でも、彼女ほどの闇を発揮してる人はそうそういない。他人の暗い話に共感したり慰められる人に、光よりも闇が好きとか言っちゃうタイプの人に(デレならすみぺ、飯屋、はっしーとか好きな人、あと最近だと魔法が解けちゃったのななみんの告白に喜んだ人とかに)に今オススメの2.5次元アイドルが滝川みうである。

 

 

 

 

(宮本フレデリカ+輿水幸子)/2 ≒ 藤間桜(22/7)

シンデレラガールズファンにも22/7(ナナブンノニジュウニ)ファンにも失礼なタイトルであるかもしれないことをお詫びいたします。一応、アイドルマスターシンデレラガールズは知ってる人に22/7のアイドル藤間桜を宣伝するコンセプトの記事となります。

 

藤間桜というのはこの子。かわいいでしょ。

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無料配布のアイコン(藤間桜)

キャラデザはカントクさん。22/7は各キャラのデザインを有名デザイナーに依頼し、媒体毎に絵柄を変えて使っている。

 

 

元デザインは上のツイート。アニメやCGで画風が消えてしまうのはもったいないのであるが、キャラごとにデザイナーを変えたことが判子絵になりがちなアニメキャラに個性を生み出している。TV番組「22/7 計算中」の第28回ではキャラの人相占いをしており、藤間桜の目と目の間隔が他の子たちより少し広いという指摘があった。それぞれのデザイナーがこの子が一番というつもりで描いたという意義も大きい。

 

キャラ設定は、アメリカ・ロサンゼルス育ちの16歳。アニメ「22/7」では、主人公ポジションのセンター滝川みうと一番最初に仲良くなる子。性格は穏和で優しく、お嬢様らしい育ちの良さという点でもラブライブの南ことりちゃんに近い印象を持った。当番回では、存命中は日本在住だった祖母を慕い、その思い出の地を大切にする様子が描かれた。

 

アニメ「22/7」は評判華々しいものではなかったにせよ、A-1 Picturesが丁寧に作っていてよかったのだが、藤間桜が大活躍(大暴れ?)するのは、中の人がモーションキャプチャーによるVRで演技するTV番組「22/7計算中」(以下計算中)である。

 

いよいよ表題の藤間桜は宮本フレデリカと輿水幸子を足して2で割ったようなアイドルという説明に入る。デレマスがわかる人にはこの喩えでどれだけヤバい子だと私が思っているかわかってもらえると思う。「自由奔放」「枠に囚われない」「嘘つき」「自分が一番かわいい」「私が世界の中心」それでいて、実は結構まじめなのでは?思慮深いところもあるのでは?勝手にしているようで他のメンバーのことをすごく考えているのでは?と思えるのが藤間桜なのである。

 

藤間桜も中の人(芸名:天城サリー)もカリフォルニア出身であるが、日本語の喋りは流暢でイントネーションには違和感がない。稀におかしな日本語を話すのは漢字の読み方の選択を間違えているケースが多い。やはり日本語の文字は難しいらしく初期はひらがなも若干怪しい(かと思えばそこそこ難しい漢字も読めたりする)。このへん海外出身事情が非常にリアルである。

 

しかし出身地ネタ以上に外国出身という設定をアイドルとして上手く生かしているように見える。日本人ではないという周りからの目によって、フレデリカのように日本的な常識に縛られない行動・自分の国では~の嘘発言が許されるのである。計算中70回の桜によると、あくまで嘘をついているのではなくて、ツッコミがなくてもトンデモナイことを言うだけで成立するのがアメリカンジョークなのだと言う。

 

計算中には司会、アイドルのいじり役として三四郎(相田周二と小宮浩信)が出演している。彼らはアイドル番組のMCとしては理想の働きをしていると思う。相田は「みう推し」小宮は「ニコル推し」となっているがこの2人はおそらく一番援護を必要としているメンバーでもある。

 

三四郎に何か言われたとき、桜はとりあえずいろいろ言い返す。いろんな企画をやらされるのであるが、企画が始まる前は必ず自信満々な態度を見せる。基本は幸子のように「自分が世界一かわいい」のスタンス。失敗は全て屁理屈でごまかす。基本甘やかされているようで、テレビらしいテロップやナレーションに辛辣なコメントを食らうことも多々ある。

 

藤間桜と似ているデレマスのアイドルとして幸子を挙げた理由はもう一つある。公式の幸子虐めといえばスカイダイビングであるが、なんと桜もスカイダイビングをさせられている(計算中60回)。是非、桜(と小宮)の勇姿を目に焼き付けて欲しい。

www.nicovideo.jp

 

軽いネタバレになるが、特に高所に耐性のない女の子にスカイダイビングをさせるとどうなるか?桜(サリー)は飛行機に乗せた時点で泣く。巻き添えで一緒に飛ぶことになった小宮は撮影の朝から参っているが、なんとか大人として桜を励ましている。背中に貼り付いたでインストラクターが安全を保証してくれるとはいえ高度数千メートルなんてそりゃ怖い。桜は幸子と違ってメンタル最強アイドルというわけではない。いや改めて輿水幸子はとんでもない度胸の持ち主なのだなあと。

 

計算中ではどうしてこんな扱いのキャラになってしまったのか。アニメは「清い」「優しい」「包容力」。計算中では「隙あらば不正」「口を開かなければ美人」「混沌」みたいなのは、声優のラジオや生放送を見ているアイマスPから見れば寧ろ王道?の全く正しい様式であるが、本人曰く

 

 

とのことである。 素顔の桜を信じてもよいが、そもそもアイドルは常に嘘をついてもよく、見せたい自分を作って見せればよいのだ。

 

一つポイントを挙げれば、計算中が始まるときにまずTVバラエティーについて勉強したというのが偉い。計算中で最初からこのメタ視点を持てていたのは、おそらく藤間桜とお笑い好きの大阪人キャラ河野都の二人だけである。普通の新人アイドル声優はTVに出てヴァーチャルのキャラクターを演じるだけでいっぱいいっぱいなのだ。

 

自由奔放、勝手に振る舞っているように見える藤間であるが、視聴者目線を常に意識しているとすると「こう言ったほうが面白いかな」みたいなことをよく考えているように見えなくもない。気ままなでまかせてきとー発言がしばしば上手く後の展開に繋がるのは、実は伏線を張っているのか、それともあとから機転を効かせているのか。 

 

計算中では一見好き勝手しているようで、自分を下げたり、変なやらかしをすることで他のメンバーを持ち上げているように見えることもある。「計算中 Season 2」6話のクイズでも戸田ジュン全問正解を上手くアシストしたような。桜の発言に対するメンバーからの反応は基本的に温かく、都は桜に理解を示しているし、みうは桜の振る舞いを好んでいるようだ。

 

テロップでは「屁理屈」や「混沌」を代名詞にされているが、スタッフからの信頼もおそらく厚い。英語やスペイン語という強みもあり、広報系の仕事はメンバーの中で一番最初にやらせてもらえることが多い。22/7のバーチャルYouTuberとしてのチャンネルは乱立の後、結局「藤間桜【22/7公式】」チャンネルに統一された。

 

中の人(天城サリー)について一点。なんと声優を目指したきっかけは「杉田智和」だったと言う。(アイドル声優路線なのに歌の上手い女性声優さんとかじゃないんかい。)

cho-animedia.jp

変な言動やなんだか面白い喋り方も、元々杉田智和を目指していたのなら納得である。なんでも銀魂で日本語を学んだとか。

 

 

22/7のほかのメンバーについても今度時間があれば書きたいと思う。

桜よりずっと異様なアイドルであるセンターの滝川みう

真っ先に突っ込んで行くが意外と乙女で可愛い河野都

冷静メガネと見せかけ度胸と女子力エースの丸山あかね

軽いように見せて常に真剣でハイスペックな柊つぼみ

子供っぽさとシリアスと教養が並立する戸田ジュン

自然体で不思議ちゃんキャラを成立させた神木みかみ

元気っ子と見せかけ繊細な創作センスを見せる東条悠希

一番女子高生らしい美少女感を出している立川絢香

正統派アイドル路線でファン媚びと影を備えた斎藤ニコル

ただ一人全員をまとめられる優等生リーダーの佐藤麗華

 

キャラクター設定+中の人の両方の要素が合わさって強いとはいえよくこれだけの逸材を集められたと思う。とりあえずまだ見たことない人は「22/7 計算中」を見て。生きているアニメ調TVアイドルがそこにはいる。

 

 

シンデレラガールズは終わらない

ほかの二次元アイドルの活動終了を知って悲しくなる今日このごろ。

ラブライブはいいんだよ。あれはスクールアイドル=青春であって卒業まできっちり描いていくコンテンツだから。

アイマス界もミリオンのGREEのゲームが終わったり、本家が思ったよりは売れてないみたいな現実を突きつけられると、今は全盛期のシンデレラガールズもこのまま盛り上がっていけるのか不安になる。一番の不安要因はシャニマスで、新しいこと始めるのはいいんだけど正直言うと人や運営のリソースが流れるみたいなのは嫌だなって。そんなことはないと思いたいけれど。

 

 

シンデレラガールズにはそれこそ半永久的に輝いていける素質があると思うので、シンデレラガールズの良さをもっと発信していきたい。金だって落とす。今は儲かりまくりだと思うけど仮に将来的にピンチが訪れたって、言ってくれれば寄付だってするプロデューサーいくらでもいるよ。だから運営はモバゲーもデレステも毎年のライブも間違っても終わらすな。あと新アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ2(高雄監督)」を作ってくれ。

信者から見たアイマス~宗教で何が悪い

こんな記事を読みまして

pumpkinsword.hatenadiary.jp

コメントでも言われているように城ヶ崎美嘉とみりあと二次創作と声優の話題に関して時系列メチャクチャな要約をして知らない人に嘘を広めるのはやめろ、というのはあるのですが(アニメ17話について熱いアイマストークに耐えられる人は下の記事など読まれるとよいかと)、

hetablo.hatenablog.com

アイマス沼に嵌ってる人を宗教だとか薬物中毒だとか喩えるのはまあその通りかなと。それを止めるのは至って健全なことであるし、引き止めるのもよくないことであると思います。

 

ところで世の中には宗教や薬物について理屈抜きで拒否反応を示す人もいて、最初の記事の著者もそれっぽいところがありますが(勿論宗教詐欺、教祖の命令による犯罪、違法薬物の使用や所持は法により裁かれます)、神道や仏教も宗教だし、酒やコーヒーも成分的には薬物だというのを完全に失念しているなと。これらが悪くないかと言われればいろいろ害もあるのですが、まぁ要は宗教にも良い面はあるし、薬物にもマイルドに楽しめるものはあるわけです。

 

※酒やコーヒーが嫌いという方もいますがどちらかといえば少数派でしょう。日本人の宗教アレルギーと神道・仏教への無自覚さは強くて「神様も仏様も信じてない、全ての宗教は悪で自分は宗教とは全く関係ない」っていう人もそれなりにいそうなんですが、そういうことは初詣やお祭りや法事諸々を全部否定してから言えという話です。(私も無神論者ですが宗教には批判的であると同時に寛容でありたいと思っています。)

 

既に「薬物依存者」の立場からからアイマスへの嵌り方について記事を書かれた方もいるようです。

hagyou.hateblo.jp

 

私は前々からアイマスって宗教だなと感じてきたので、一宗教信者の視点から書きたいと思います。まあそもそもアイドル=偶像崇拝だから二次元だろうが三次元だろうが要は宗教なんですけどね。

 

※敢えてアイマスがほかのアイドルやアイドルアニメに比べてより宗教らしいところは何かというと「終わらないこと」でしょうか。三次元のアイドルは年齢を重ねると割りと若い内に辞めちゃうじゃないですか。でも二次元のアイドルたちは年をとらない。しかもアイマスはラブライブと違って決して卒業、解散を描かない。有終の美という考えもありだとは思うのですが、「永続性」は人間が求める一つの理想の形だと思います。でもだからこそどうやって辞めようって話が出てきたのが冒頭の記事なのでしょう。

 

1、自分について

アイマスはもうかれこれ十年以上も続いていて、さきほど私は一信者と申し上げましたがアイドルマスターシンデレラガールズのアニメからにわかです。仏教に喩えるなら浄土真宗をかじって信仰しているけれど小乗仏教はさっぱりみたいな感じだと思います。これからアイマス教(シンデレラ教)の紹介みたいなことをしようと思いますがこれらの運営会社と特に利害関係はないです(念のため)。

 

2、神様について

神様というか要はアイドルについて。とにかくカワイイ、美しい、素敵!中身も空っぽではなくてキャラクターに人間性や生き様を感じられるようになっています。アイマスはとにかくキャラクターがいっぱいいるので、漫画アニメ・ゲーム等の二次元絵文化に親和性のある方ならきっとお気に入りのアイドルを見つけることができるでしょう。

 

3、経典あるいは聖書について

元はゲームから始まってアニメ化というのが基本なのですが。幅広いメディアミックスがされています(私は本家アイマスは漫画「アイドルマスター2 The world is all one!!」から入りました)。いっぱいあってよくわからなくなるけれど、全部見ている人はそこまでいないと思うので、人が勧めているものを適当に見るとよいかと。私はシンデレラ推しなので、物語を楽しみたい人にはアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」(全25話、シンデレラガールズ劇場じゃないほう)、てっとり早くビジュアルや音楽から入りたい人にはスマートフォンゲーム「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ」をオススメしますが、本家のアニメやゲームも評判がいいのでそちらからでもよいかと思います。もちろんミリオンライブも熱心に勧める人が多い気がしますし、男性アイドルのほうが好みならSide Mのほうがよいのかもしれません。

※余談になりますが、神様に関する公式でない神話や伝承もたくさん存在していまして(ギリシャ神話や風土記みたいなもの?)、SSやら同人漫画やらニコニコ動画のノベマスやら二次創作が盛んな分野でもあります。キャラ崩壊や解釈違いの問題もありますが、こういったものに対する寛容さは公式に感謝すべきでしょう。

 

4、偶像について

アイマスはとにかく偶像崇拝なのですが、きっと昔の人も仏像を眺める時ちゃんとそういった視点を持っていたのでしょう。今はよほど熱心な仏教徒か仏像オタクでもないと仏像を見て感激することはないのでしょうが。アイドルの絵や踊っている姿を眺めると心が癒やされます。

 

5、宗教音楽について

曲は私も全部すごく好きってわけでもないのですが幅広い楽曲を様々なアイドルが歌っているので、アニソン好きの方なら好みの曲が見つかると思います。特に個々のアイドルの持ち歌は「キャラクターソング」という観点から見た時に、そのキャラクターらしさが活かされる素晴らしい曲揃いであると思います。(声は皆合ってるんだけど歌が上手いかは声優さんのタイプによるのでガチの音楽好きの人は抵抗があるものもあるかもしれませんがそれは二次元キャラなのでそういうものだと思ってください)

 

6、宗教芸術について

フィギュア等を飾るのも一興であるかと思います。またpixiv等をみればアイドルのキャラクターをテーマに描いた絵がたくさん見つかります。宗教画ですね。ニコニコ動画ではアイドルがゲーム実況したり将棋を指したりする様子も見られますが、自分の趣味や得意分野を神様と結びつけちゃうのは、江戸時代の数学が得意な人たちが算額といって幾何学の問題を神社に奉納していた話と少しだけ似てるんじゃないかなと。

 

7、神様との接し方

アイマスのファンはプロデューサー(P)と呼ぶのが習わしです。ゲームではプロデューサー視点でアイドルをプロデュースするというところから来ています。もちろんそういう妄想に浸れると一層楽しいですし、それは引くという人はラブライバーやモノノフみたいな単なる呼称と考えてもよいかと。ゲームでアイドルたちは割と甘い言葉をかけてくれますがアイドルたちが自分のことを好いていると考えるか、あるいはアイドルと恋愛をすることが許されるのかは解釈が分かれるところです。二次元のキャラクターなので自分の妄想の範囲で好きにしてよいかと。

 

8、巫女さんについて

最初の記事で声優さんを神の使い手と書かれていますが、だいたい合ってると思います。要は巫女さんです。信仰の対象にするのはおかしいという考えも正しいと思いますが、巫女さんは十分神社に行く動機になりますよね(オタク向け意見)。みんなかわいい(嵌った人の主観)。シンデレラ以外は詳しくないのですが、キャラクターとの相性で正にこの人といった人選がされています。中には早見沙織さんや東山奈央さん竹達彩奈さんみたいな有名な声優さんもいますし、新人さんもいるし、あるいはちょっと変わった経歴を持つ人や、本業は声優じゃなくて舞台とかなんて人も、いろいろ多様性があってよいと思います。

 

※最初の記事の話題。「お前は声優が言うことは正しいと思うのか?じゃあ声優が死ねと言ったらお前は死ぬんだな」みたいなアホな議論はおいておいて、声優さんの言動について。どうしても分けて考えたいという人と、キャラクターの深掘りに絡みあるいは逆輸入があってもいいという人どちらもそれなりにいると思います。あまり議論しないほうがよさそうな感じ。個人的には城ヶ崎美嘉役佳村はるかさんの自分のロリコンをキャラに逆輸入しないで欲しい発言はちょっと悪手だと思っていて、そもそもは美嘉が本当に妹思いのお姉ちゃんでそこにちょっとシスコンっぽい要素をだすと面白いなっていう視点から来ているネタでもありプラスに変換できる話でもあるので、こういう清濁のネタを飲み込む度量がないと塩見周子、島村卯月、高垣楓のように総選挙1位にはなれないのではと思うのですが、それはともかく佳村はるかさんは自分のキャラ思いでとてもかわいいです。

 

9、信者の義務

特に義務はないといっていいと思います。一般良識外の禁止事項もないと思う。ほかのアイドル宗教と兼ねてはいけないということもないです。ただ中には最初の記事を書かれた方のようにログインやらイベント、ライブへの参加などを義務的に感じてしまうようになる人もいるかもしれません。自分が楽しめるのが一番だし、運営や声優さんもそう思っていると思うのですが。お決まりのコールとか、サイリウムとか、謎習慣のスポンサー名合唱もまわりに強制するものじゃなくて、まわりと合わせてノレれば楽しいくらいのもので、過度に同調圧力を感じてしまうのはこじらせ過ぎではないかと。

 

10、経済的な負担について

大原則として貧乏人は金を払わずに信仰しても構わない、だいたいの宗教と同じ。とはいえアイマス、デレマスの課金は嵩みがちなので悪名高い。私はアニデレのDVD、最近のCDやらライブBlue-ray、デレステのスカチケ等で多分まだ十万円いってるかいってないかくらい。「一日80円ガチャ」(ネタで納税といわれる)も回す日は回すけど結構怠っている。納税というよりははおみくじマニアが毎日おみくじを引くような感覚かと。一般の人だとこれでも金かけすぎって思うかもしれないけど、これくらい払わないと巨大なコンテンツの維持・高クオリティ化・発展・拡大は無理という話をさせていただきたい。アニメーターの経済的な苦境を嘆く人が一方でアニメ商品を全然買ってないとしたら盛大な矛盾なわけで、お金払うのは大事。供給過多ともいわれる声優さんにもせめてアイマス関係の人にはいい暮らしをして欲しい。逆にお前の課金は少ないとおっしゃる課金者の方、申し訳ありません。さすがに生活を切り詰めるのはどうかと思うが余裕のある人がお金出すのは問題ないし寧ろ推奨されるべき。宗教に喩えるなら、新宗教はいわずもがな、寺の檀家さんも相当寄付してると思うし、神社仏閣の立て替えとかそうとう巨額になると思うからマシなほうではあると思う。

 

11、狂信者の問題

世の中には熱狂のあまり社会に迷惑かけちゃう人もいて、お隣のラブライブなんかはそれで随分ディスられた印象あるのですが、アイマスに対してもそういう話をしたがる人はいて、門戸を広く開いている分、世の中どんな集団にもいい人も悪い人がいるのは当然だと思うんだけど。こういうのをすぐに宗教批判に結びつけちゃうのは危険で、有名なお寺に所属していてもこじらせて金閣を焼いた人もいるし、有名神社だと宮司職を巡って切りつけ事件があったけど、神社仏閣全部潰せって人はいないよねって話。

 

12、アイマス教を信じるメリット

デメリットについて長々と書いてしまいましたが、ムキになってガチャを回しすぎないよう気をつけておけば困ることはないかと。アイマス教に入るとゲームをより楽しめます。アイドルのことを考えると心が癒やされます。私のように女の子の友達が全然いなくてもアイドルがいてくれれば救われます。

 

でもそもそも別に信者になる必要はなくてアイマスを好きな人が増えると嬉しいなと。旅先の神社にふらっと立ち寄る感覚で、あるいは地酒の味見をする感覚で是非アイマスに手を出して見てください。向かなければ去ればよいし、向いていればどんどん嵌っていけばよいかと。

大義名分がないと作品を楽しめない人たち

こんな記事読んだんだけど

 

arrow1953.hatenablog.com

 

言ってることはだいたい正しいと思うんだけど、「人間のクズ」を批判で終わらせちゃうのはなんだかなぁと。この記事を書いた方は人の不幸は一緒に悲しまなければという聖人なのでしょう。是非日々不幸を生み出す社会への怒りと悲しみに浸りながら社会問題の解決に邁進なさってください(口だけでなく)。そもそもカイジを読む事自体に人の不幸を見て楽しむクズ的な娯楽要素があるはずなのですが、

 

「持たざる者「カイジ」が知略を駆使して自らを特別と思いあがる兵頭たちを荒唐無稽なギャンブルで勝利する姿が爽快かつ痛快なんだけども全編に漂う「金!」「金!」「金!」な世界観にゲンナリさせられることも多い」

 

漫画一つ読むのにこういう大義名分が必要なのですか。世の中金という世界観はダメですか。たしかに最近アニメとかの感想でも勧善懲悪じゃないとだめとか、もっとご都合主義に正しい人が報われて悪人が制裁を受けるエンディングじゃなきゃ納得できないとか、力を持つものは社会正義のために行動しなければならないとか、個人的な欲望や動機で生きてる登場人物が許せないとか言う人いるんですけど、なんか何事も正しくて規範通りじゃないといけないとか窮屈だなあ。

 

私は捻くれてるから「正義の味方」が過剰な暴力で「悪」をリンチするっていうのがずっと続くだけの話とか寧ろ嫌悪感湧いてくる。善悪じゃない人情とか、結局力のあるほうが勝つとかそういう要素があるほうが面白い。そこで視聴者が楽しんでいることの本質が暴力でありポルノであったとしても。

 

このテレビ番組だって借金ある人拉致してゲームさせるわけじゃなくてちゃんと賞金あげるんだからいいじゃないですか。200万円はちょっと安いような気もするけど。本人たちもテレビに出たいってことは自分の不幸を自分で笑えるような人たちなんだから一緒に笑いましょうよ。下手な同情とかガチで説教する奴とか寧ろ気持ち悪い。そういう人たちこそこういう人は見下されるべきみたいな変な規範が働いているのでは?

 

週刊誌の芸能スキャンダル記事とか楽しめずにガチで怒っている人を時々見かけますが、そんなにきれいごとや上辺だけの世界で生きたいのでしょうか?週刊誌に公権力と戦う正義の味方的な立ち位置を求める人とかいるけど、文春の姿勢はマスコットキャラの「文春くん」を見れば一目瞭然。完全に愉快犯のゲス。でもそれがいいんです。偽善者が一番嫌い。

 

アニメ漫画の話に戻すと、ヒール主人公、コードギアスのルルーシュとか、デスノートの夜神月とかいいですよね。彼らをカッコイイって言うためにいちいち正当化する人いるんですがそういうの不要です。ただおもしろいからいい。へうげものの古田織部は武将や茶人としての生き方も凄いけど、欲望や卑怯さが魅力にもなっている。さばげぶっ!の園川モモカや霊剣山(特に2期)の王陸なんかもゲスっぷりが素晴らしいです。

 

実在の人間に反倫理的なことはすべきでないが、子供向けでない創作の世界は善悪から自由であって欲しい。

"結城友奈は勇者である"と太平洋戦争

また結城友奈の話。

東郷さんの愛国設定とかよくも悪くも戦前の日本を思い起こさせるアクセントが多いので、それに触れずには語れないと思う。国を守るために戦うことを美化してるかと思えば勇者=兵士の代償がエグかったり、大赦=政府+靖国神社が悪いかと思えばそんなに悪意もない描写をされたりと複雑なところがあるので、国防と自己犠牲の重要性を説いてるとか戦争を美化していて悪いとかいう巷の左右両派にありがちな短絡的な文脈では語れない。

味方=土地神様なので一見神道賛美なのかと思いきや、話が進んでみると敵=天照大神(天皇家の祖先とされる神様)なので戦前だったら即発禁な内容なんだけど神道に詳しくないのか排外主義なだけで皇室賛美からは遠いのかアニメクラスターにもそこそこいるであろうネット右翼っぽい人たちも特に騒いではいない。

 

以前勇者は特攻隊をモチーフにしてると思ってたんだけれど、つい最近女性が犠牲になっていてもっと悲惨な話を読んだ。貼っておいて難だけどこういう話が苦手な人は読まないほうがいいかもしれない。(私は平和な時代に生きる人は決して戦争を煽らないということさえ守れば何も知らずに呑気に生きてもいいと思う。)

 

gendai.ismedia.jp

 

gendai.ismedia.jp

亡くなった娘たちはどういう存在なのだろうか。現遺族会会長に訊ねると、少しの間をおいて彼は答えた。黒川開拓団の「守り神」であると……。」

 

犠牲になった側からすればひどい発言なのですが、こうなってしまう現実。

未だに戦争になったら戦死した自衛隊員を靖国に祀るかを一番に議論したがる人がいるという、最後は犠牲者(英霊)の祭り上げ、戦後も変わってない日本の残念なところ。

 

こういうのをモチーフにした話を絵的には完全にマイルドにして現代風にしてファンタジーなテイストに包んでなおかつグサッと刺してくるのが「結城友奈シリーズ」の凄いところ。登場する女の子たちがいい子すぎる(+それゆえただただ可哀想って反応が起きがち)っていう問題はあるんだけどああなれって言ってる話でもないんだろうな。

 

こういう時誰が悪いかって話をしたがる人たちがいて、若い女性を差し出した開拓団が悪いとか、住民を守らずに逃げた満州の旧日本軍が悪いっていえばそうなんだけど、それをしないと彼らも死ぬわけで。

ソ連兵が悪いっていうのは当然そうなんだけど千万人単位で犠牲になった独ソ戦あるいは焦土作戦について知っていると少し見方も変わるかもしれません。

善悪ではなく戦争では最後は弱い人達が犠牲になる。

 

結城友奈はまだ結末が全然見えないわけだけれど、第二次世界大戦との連想でいくと

四国以外の国土を取り戻して勝利エンド=大日本帝国勝利

バーテックスと和解エンド=日ソ講和

になるといくらなんでもご都合主義すぎる。

かといって

滅亡エンド=日本滅亡

だと全員殺してストーリー処理した観が拭えない。

ジリ貧で戦いを続けて滅びゆくか、あるいはそこにに多少の理不尽さが存在しても敵からの要求を飲む(=ポツダム宣言受諾)という方向に進むとそれっぽいけど果たしてどうなるか。

 

エガオノキミヘって鷲尾須美じゃなくて乃木園子の歌なんじゃないの?

シンデレラガールズについて書くつもりのブログだったのですがなかなかまとまらないので別アニメについて。

 

既出かもしれませんが気付いたことがあったので。

鷲尾須美は勇者であるのOP「エガオノキミヘ」を聞いてていい曲だけど歌詞がなんだかしっくりこないなと思っていたのです。三森すずこさんが歌っているので主人公鷲尾須美の歌と当然解釈するものだと思い込んでいて、歌詞を須美から園子の想いとすると「おかえり」のあたりとかなんだかいろいろしっくりこないなと。ここは友奈への想いも込められているっていう解釈は見かけたんですが、須美→園子を逆にして園子→須美とするのが一番しっくりすると気付きました。

 

いくつかポイントを挙げていくと

「見返したアルバムの中で」

結城友奈は勇者である最終話後に記憶やアルバムを取り戻したかもしれませんが、須美=東郷は過去の記憶や記録を没収されている。

 

「ただいまと言ってね」「きっとすぐに迎えに行く」

ただいまというべきは須美のほう。迎えに行ったのは園子。

 

「ねえずっと待ってたよキミのことを。おかえり私をもう二度と置いてかないで」

ずっとがあるので東郷→友奈より園子→須美と解釈したほうが自然。

 

あとこれは共感してもらえるかわからないのですが、キミの二人称は須美らしくない気がしていて、園子→須美のほうがしっくりくる気がするのですがどうでしょうか?

 

そうは言っても歌ってるのは須美役の三森すずこさんじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、歌詞の対象になっているほうに歌わせるという手法には前科があります。結城友奈は勇者であるOP「ホシトハナ」も勇者部の5人が歌っていますが、歌詞を読めば神樹様→勇者部への歌なのです。ストーリー的に「咲き誇れ」と自分たちで歌えるはずがないですから。「エガオノキミヘ」と「ホシトハナ」の作詞者はどちらも中村彼方さん。

 

それにしても

「キミを連れて駆け出すよ誰も追いつけない場所へ」

の部分に少し不安を感じるのは考え過ぎでしょうか。アニメ版では見ませんでしたが鷲尾須美小説版では園子が東郷の暴走を教唆するような台詞を言っていたと記憶しています。

いずれにせよストーリーと合わせて心に響く曲です。